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コラム

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王様は。

シドニーにいた頃、あるときどこの新聞だったか覚えていないけど、「オーガニック野菜と農薬を使って育てた野菜との間に味の差がないことが科学的に証明された」という内容の記事がでていた。

「情報」ってほんとに当てにならない。どこからどうゆう力が働いて、どこの科学者がどこの「オーガニック」野菜の何を調べてこの記者に筆をとらせたのかはわからないけど、問題は人によってこの記事を読んで自分の五感を無視して納得しちゃうってことだ。王様は裸じゃないのだと!

オーガニックってひとえに言ってももちろん中身はいろいろで、化学肥料は使わないという前提のもと、大農場で単一作物を育てるやり方もあれば、無肥料でいろんな植物を共存させて育てるやり方もある。オーストラリアでオーガニック農家の証明をとるには過去3年以上農薬を使っていない土壌であることとかたくさん細かな条件があるし、何より申請料とか更新料とかが高い。日本の農家同様、基本的に有機農家は国や行政からの補助がないから、ただでさえ利益が少ないのに小規模で無肥料でやってるとこなんかはオーガニックの証明書をとってる余裕なんてないわけで、だからうちのレストランに週一度むちゃくちゃおいしい野菜や果物を届けてくれるロビーさん農園も信頼関係と実際に味わえる「質」だけでここまでやっている。それくらい彼らの育てた野菜や果物はおいしい。

でもその判断て五感を大事にしていないとできない。目の前にある事実も、専門家が科学的な検証のもとに「これは体にいいのだ!いや悪いのだ!」って言ってくれないとなかなか自分の感覚を信用することができないっていうのは悲しいことだとわたしは思う。

専門家がどれだけ「証明」しようがロビーさんちのにんじんは水っぽくなくて味が詰まってて格別においしいのだ。

食べ物とか環境に関することのドキュメンタリーって私もよく観る。科学的な検証も使い方によっては決して悪いものではなくて、自然をもっと深く知ろうっていう行為でもあるわけだし、何事も疑ってみるのって大事だ。でも同時に自分の持つ直観とか五感とか感覚的なものって、包丁を研ぐみたいにちゃんとケアしていたいって思う。いやあの話はもしかしたらありのままの自分で魅せるのが一番ていうメッセージだったのかしら。ま、空がきれいだから考え事はこれくらいで。

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ははは

4週間私を訪ねてきていた母が日本に帰国した。ほっとしたやら寂しいやら。

母娘の恒例行事になったニュージーランドでのハイキングを終えてから、メルボルンでホームステイをしながら語学学校に通っていた母。トラブルもあったけど、とにかく今回はなるべく娘に頼らずになんでも自分でやってみようというのが目標で、いつもより少し距離を置いていた私たち。日をあけて会うたびにたくましくなっていく母。トラムの乗り方やコーヒーの買い方、道の聞き方だって、私もこっちに来たときは毎日覚えることだらけだった。学校も楽しくて、友達もできて、そうゆう話をしながらごはんを食べて、でも「じゃあね」って別れるときの心細いような顔が、なんだか忘れられない。

学校が終わってからの連休はすがすがしい顔で、つかの間の娘との時間を満喫して帰っていった。周りからは「クールな母」だと称えられるけど、頑固で偏屈な共通点に長く一緒にいるとお互いにうんざりしたりして、よくあるうちの母娘関係。60をまわったころから急に子供っぽくなった母がまた、あれがしたいこれがしたいと言うから私はそれに付き合っているんだと思っていたけど、こうしていくつになってもいくらだって新しいことに挑戦できるんだってことを私に教えに来たのかも。あっぱれ。

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桃栗三年柿八年。

「柿の木屋」というカフェが私の育った街にあった。とても幼いころのことなので、母に聞くお店の雰囲気も食事も残念なことに全く思い出せないのだけれど。時代に先駆けてオーガニックな食事を提供していたそのお店。関心のある少数の固定客になんとか支えられて、日々奮闘していたに違いない。料理も心がこもっていてとてもおいしかったとのこと。お店が閉まったことを母はつい先月のことのように悲しがる。歳をとると人は昔を懐かしむもの。ただそれは母にとって単においしいご飯を食べる場所がなくなってしまった寂しさなのではなくて、オーガニックという選択を広めようという柿の木屋の人たち、母にとっては言わば同志の夢が叶い切らなかったことに対する無念さなのだ。

ただ。彼らの夢は本当に、柿の木屋の閉店とともに終わってしまったのかしら。わたしは時々、顔も知らない彼らのことを想う。思い出せないおいしいごはんのことを想う。彼らが植えた柿の種は時間をかけて芽を出し、小さな小さな苗木からやがて葉をつける。

いま私の故郷には知る限りでも5軒以上のオーガニックカフェがある。わたしが帰国すると母に必ず連れていかれる彼女の行きつけのお店。ごはんもデザートもコーヒーもとてもおいしくてからだにすーっとしみ込んでいく感覚。そこで母親と食事をする子供を見かける。あの子は大人になったとき、このお店でお母さんと食べたおいしいごはんのことを覚えているかしら。あの子がこの場所を思い出すころ、この街にはどれくらい「おいしいごはん」を食べられるお店があるんだろう。そんなことを考えながら気づけば私も、遠く離れた異国の地でおいしいごはん作りに奮闘しているんだからおもしろい。

 

20.10.2016